穂乃香、この空で繋がってるよ…。

大好きな穂乃香へ…

穂乃香の笑顔は、私の宝物だった…。

いつか…
また必ず逢う日まで

その日まで
も少し待っててね…。

介護の辛さを振り返る…

うちの父親を介護してた時のこと…
背の高い人だったので、立ち上がらせる時に こっちへ身を任せようと傾くので、
自分にいつ覆い被さるかと、いっつも不安だった😣


それまで、全く介護の経験がない私が しでかした苦い経験がある。


実家は狭くて、介護ベッドを置けるスペースもなく、段差もあって、
自営業で父親の介護まで目が行き届かない為、ホームでお世話になっていた。


まだ小さい穂乃香を抱っこしながら、車いすを押して、ホームの中をぐるーっと
ひと回りして、部屋に戻る前に必ず
トイレに行きたい…って言ってくる😅


日に日に 少しずつ、介護にも慣れてきた頃…
トイレに行かせて、便座に座った状態から
1・2・3の かけ声で持ち上げた瞬間…


父親の腕を脱臼させてしまった😓😱😱😱


いつか、なにかやりそうで怖かった😫
そして肩が外れたまま、6年の介護生活を送った。


過去にそんな経験を持ってる私は、介護はトラウマでしかない😞


トイレも、本当の親なら どうだったか わかんないけど…
プライドが高い人でもあったから、見舞いに行けば、
家に帰りたい一心から、大声で怒鳴る父親を見るのは、正直、苦痛でしかなかった😩


それでも母親は、自分の仕事を終えてから、預けていたホームへ片道30分かけて
チャリで毎日、献身的に介護に通ってた。


そこは、頭が下がる🙇


母親に
『これから、先の見えない弱者に対して、
最後まで いたわらないといけない』…って、何度も言われたけど
私には、毎日 介護なんて出来なかった😩
脳の病気だから…大声も出して、人格も変わるのは仕方のない事…って、
自分にも何度も言い聞かせても、なかなか理解できなかった😖
その当時は、父親から暴言を吐かれてる母親が、虐められてるような気もして
可哀想に思った。


少しでも母親の力にならなきゃって、出来る事は一緒になって介護を続けた。
穂乃香を週2日だけ、預けられる保育園を探して、母親と2人で、ホームが決まるまで何軒も介護施設を探しに回った。


だけど、プライドが高い父親を置けるような施設がどこもなくて、
最終的には、元旦那の友達の つてで、実家から30分のとこにあった施設へ入所することができた。
ただ、紹介してくれたのは良かったけど、元旦那は介護に手を貸してくれる訳でもなく、
穂乃香の世話をしてくれる訳でもなかった😩


介護で疲れて、家に帰れば家庭の中は散々だった😞
そのうち、私も精神的に参ってしまって、
好き勝手にやってる元旦那とは、別居を選択。


周りの協力なしじゃ、介護なんか絶対にムリ😫
潰れていくだけだよ…😩


まだ小さい穂乃香を抱えて、自分も夜遅くまで仕事をしてたし、毎日クタクタだった
気持ちに ほとんど余裕が なかったから、3歳で おむつが取れなかった穂乃香に
怒鳴りまくった事もあったもん😞


人って、余裕がないと鬼になる😈
あの時は、ほんと、穂乃香には可哀想なことをしたと思う🙏💦
毎日、おこりんぼうだった😈


だから、介護は家族を崩壊させるものだと、その頃から ずっと思ってきた。


そうゆう事情も知らないで、毎回 暴言吐いて、ワガママばっか言う父親に 
まだ若かった自分は、面と向かって『死ね!』って、言ったこともあった😖
父が、亡くなったあとは、罪滅ぼしのつもりで、毎月、月命日と命日のお墓参りは、
欠かさなかった。


そのお墓に穂乃香が先に入るとは思わなかったけど…😢



母親の介護が始まって、いまの時点で、
実家で、母は一人暮らし。
歩く事が おぼつかないけど、自分の身の回りの事は、ゆっくりやるようにしてる。


万が一、動けなくなったら、うちに介護ベッドを置いて、そのあとの介護を引き受けるつもりだったけど、慣れ親しんだ場所にいたいという母親の希望もあって、実家へ一人で置くことにした😖
実家が狭いので、やむを得ず、今まで母が頑張ってきたお店に介護ベッドを設置してもらいました。
知らない人が入ってきたら、きっとその光景にびっくりするだろうけど…😅
狭い家だから、これも仕方ないこと…😞


いまは介護認定は出てないけど、これからは、支援でヘルパーさんが週3日、
1日45分の契約で来るみたいなので、少しだけ安心してます😊


猛暑続きで、部屋の温度も上がるので、生ゴミも心配…😩
母は足の先まで血液が回らないので、冷えて仕方ないと言って、部屋の温度が上昇してるのに足先にヒーターを付けてる生活だし…
実家のエアコンが29℃に設定されてて、身の回りの世話をしてる時は
こっちが具合悪くなるくらい暑い🤮


過ごしやすいように 便利グッズを買っていくけど、
結局、母親のやりやすいように移動されたり、使わなかったり…
今まで、やってきたスタイルを急に変えられると、母はパニくるらしい😰


店を閉めてから、2週間以上経つけど、毎日のようにお客さんが
今までお世話になった…と、お花を持ってきたり、おしゃべりしに来たりと、
充実してるらしい。


病人の母は、ありがたいけど~
正直、疲れるって、こないだ漏らしてたっけ😅


しゃべることが大好きな母だから、言葉が失われたら、
私は、もう終わり😩…だって言ってた


私は、仕事終わりに3時間ほど、実家に寄ってくるけど…
母親の話ばっかで、
私の話には、一切、耳を貸さない😩


でも、こないだ 母と話してる時に異変を感じた


何回も同じこと言うし、2分前に言ったこと忘れてる…
あれ?なんかおかしい😓…と思って、
早急に兄貴に病院へ連れていってもらったら…


軽度の認知症を発症していた


やっぱり…😞


でも、動揺はしなかった。
よく考えたら、穂乃香が亡くなったあと、裁判の話や寄り添ってくれなかったのも、
この辺りから、軽い認知の症状は きっと出てたんだと思う


これから認知が進んでいけば、自分の周りの事も出来なくなって
穂乃香の事も、私の事も、少しずつ忘れてしまうね…


いまは、
まず自分に出来ることをやっていくしかないな…

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