穂乃香、この空で繋がってるよ…。

大好きな穂乃香へ…

穂乃香の笑顔は、私の宝物だった…。

いつか…
また必ず逢う日まで

その日まで
も少し待っててね…。

今年のGWは…③

4月30日の夜、宿に戻ってテレビを付けると
どこの番組も騒がしかった😰
元号が変わるという事もあって、日付が変わる10秒前から
カウントダウンが始まり…


今日は正月か…?なんて思いながら、
ぼんやりテレビ📺️を観てた。


日付が変わった5月1日(水) 
旅の途中だけど…
この日は、穂乃香の月命日でもあって
平成から令和に変わった日でもある。


彼も私も、この瞬間
きっとお互い心に思う事があったと思う…。


彼は平成に奥さんと出逢って結婚し、
幸せな結婚生活を送っていただろう…。
彼には子供がいなかったから
これから、奥さんと2人で楽しい日々を
重ねていくはずだったに違いない…。


私は平成8年の9月9日に
初めて穂乃香の顔を見る…と言っても、
帝王切開だったから会ったのは翌日😅


お腹の中にいる時は、よく動く子だったなぁ(^_^;)
予定日より2週間も早く生まれてきて
授乳室に入り、周りを見渡すと
よその子よりも、ちょっと小さくてお地蔵様みたいな顔をしてたのね😆


この世に降りてきた日から
決められた運命の道を辿って、
平成のうちに10代で人生の幕が下ろされてしまった…😢


穂乃香が生まれた時の事は、今でも鮮明に覚えてる…。
あったかくて、柔らかくて…
抱きしめたら壊れちゃいそうな、そんな感覚…。


穂乃香は、平成から令和にまたぐ事が出来なかった。
一緒に新しい元号迎えたかったなぁ😭
この日は、 世間が騒ぐようなお祭りムードにはならなかった。
冷めた感じでテレビを観てた気がする…。


さて…
昨日(4/30)は、龍飛崎から135km(2時間50分)車で走って
青森県三沢で連泊する。


5月1日(水)
以前から関心があった
むつにある、恐山へ連れて行ってもらった。


空はドンよりしてて寒かった😞


近くへ行くと、早速 真っ黒いカラスがお出迎え(^_^;)


三途の川…この橋 渡りたかったな。

三途の川にかかる赤い橋の横に『奪衣婆(だつえば)』と『懸衣翁(けんえおう)』の二人の像がいて、不気味な笑みでこっちを見てた😓
多くの地獄絵図に登場する奪衣婆(だつえば)は、胸元をはだけた容貌魁偉な老婆として
描かれていて、人が死んだあと最初に出会うのはこの奪衣婆らしい。
亡者の衣服を剥ぎ取って、懸衣翁という老爺の鬼に渡され川の畔に立つ衣領樹という
大樹にかけられる。
衣領樹に掛けた衣の重さによってその者の生前の業が現れ、その重さによって死後の処遇を決めるそう…。


恐山って、もっと怖いイメージがあったけど…
ちっとも怖いって感じる事はなかった。

中へ暫く歩いていくと、手ぬぐいや洋服が飾ってある小屋があった。
ひとつひとつに目をやると、住所と名前が書いてあった。
自分もそのひとり…それぞれの思いがここにあるから
写真に収める事は出来なかったけど…
きっと、『逢いに来たよ、忘れていないからね』という思いを胸に
残していったのだろう。

恐山は広大で、足元は ごつごつとした石が多くて歩きにくい😰
至るとこで吹き出る硫黄…そんな光景を目にしながら
しばし、彼とは離れて一人で歩いた。


古くから死者の魂があつまる場所として信じられてたから
ここに来たら穂乃香に逢えそうな、そんな気がしたのに…


何も感じない…それが悲しかった。



極楽浜…
ここで、暫くの間 ほけーっとしながら
ぼんやり湖を眺めていた。


何も穂乃香を感じない…😞


でも、すごく穏やかな気持ちになれた場所。



正面の三角の山が大尽山(おおつくしやま)
大尽山に向かって、故人の名前を呼ぶと返事が返ってくると伝えられてるんだって😲


所々で、かざぐるまが激しく回ったり、止まったりして
まるで、近くに子供がいてイタズラしてるように感じたのね😅


2011年の震災後に建てられた東日本大震災慰霊塔がありました。
中央の両端に真っ直ぐに立ってる石塔、右が『鎮魂の鐘』で左が『希望の鐘』です。


恐山にあるものは持って帰ってはいけません。
なので、石を積んで帰ってきました。

この日の夜、
以前、一緒に働いてた後輩から
めでたい話題のLINEが届いた。
令和になった朝4時過ぎに
男の子を出産したと言う知らせだった😆


消えてく命もあれば
新しく誕生する命もある…
令和になったその日に
改めて、いろいろ考えさせられた気がした。


旅の続きは、このあと すぐ…

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