穂乃香、この空で繋がってるよ…。

大好きな穂乃香へ…

穂乃香の笑顔は、私の宝物だった…。

いつか…
また必ず逢う日まで

その日まで
も少し待っててね…。

穂乃香と行きたかった場所… 旅に出てみた①

注〗記事にして書く以上、実際にあった事から目を反らしてはいけないと思い、
       震災直後の写真を載せてます。閲覧に注意して下さい。



穂乃香と行きたかった場所、そこは 宮城県石巻市。
直感的に 行ける時に行っておかないと、あとで絶対に行けなくなると思って…😣
今回、思い切って行ってきました🚌👜


石巻市は、2011年3月11日、14時46分、日本の三陸沖の太平洋を震源として発生した
超巨大地震で、甚大な被害をもたらした場所です。
岩手県の女川町、大船度の方まで、足を延ばしたかったけど、
仙台のホテルを予約してたので、戻る時間を考慮して、
1日目は、石巻へ。 供養が目的です。 おまけで松島観光・瑞巌寺へ…😅


今から、11年前の東日本大震災の時… 穂乃香は中学2年生の終わりで、
当時の事は、昨日の事のように覚えてます。
会社で、午後の出発準備をしていたところ、震度5の揺れを体に感じて、
全く動けませんでした。
みなが大騒ぎして、慌てて外に逃げ出す人を目で追うだけで、足がすくんでしまって、
私は建物の中に残っていました。
建物が大きく揺れて、コンクリートにヒビが入ったのを 初めて見ました😲
地面に亀裂が入るなんて、信じがたい光景でした😨


地震直後、すぐ穂乃香の事が頭によぎったけど、まだ学校にいる時間だと思い、
とりあえず仕事に戻りました。
町は、信号🚥も消えて、交通が麻痺して大変だったけど、医療関連の仕事だったので、
薬を待ってる患者さんもいるし、頑張って運ばなきゃ…という使命感で、あの日は動いてたと記憶してます🚙💨


仕事を終えて、急いで家に戻る途中、辺りは 停電していて、真っ暗…😨
すれ違う車もなく、異様な雰囲気で、めっちゃ怖かったのを覚えてます😫
車のライトだけが頼りで、運転しながら家に電話しても繋がらないし、
部屋に入ると穂乃香はいないし…😭
まだ携帯を持たせてない頃だったので、穂乃香と連絡も取れない。
不安で、どうしたらいいのか わからない事態に焦って、知り合いのママ友に電話しまくったこと、今でも忘れません。
そのころ、友達の家族と一緒に 車の中に避難してたらしく、それから30分以上経ってから、無事に帰ってきてくれて、安心しました😊


YouTubeで、震災の様子を見た時、これが日本で起きた光景なのか、目を疑いました。
少し落ち着いたら、ボランティアに行こうか💪…と、穂乃香と話しをしていたけど、
現地までの道が寸断されて、うちらが考えてる以上に 軽々しくボランティアに行けるような状態ではありませんでした。
それでも、なにかの役に立ちたくて、普段、薬品メーカーから たくさん頂いていた付箋や、メモ用紙、ボールペン、他にも ちょっとした生活用品をまとめて、段ボールに詰めて、現地の近くまで車を出せるママ友の夫婦に持って行ってもらい、被災した方たちに渡して貰うことが出来ました。
悔しいけど、その時 うちらができる事って、そんな ちっぽけな事しか出来ませんでした。


いつか行こうと思いながら、ずいぶんと時が経ってしまいました。
あの時、穂乃香と被災地に行って、なにか人の役に立とう…!
そんな気持ちが強かったのは、間違いないです。


それに あの時の穂乃香との約束を忘れたわけではありません。
時間は経ってしまって、今更だけど、供養をしに行くことはできる。


早速、行動に移しました。


夜便の高速バス🚌は、初めて乗ります😌
バスタ新宿から、石巻までの空席が目立ちました😅


空席あり…とはいえ、隣の席と あんまり密接してると嫌だなぁ~😩と思いながら、
指定された席に進むと、後ろがトイレだったので、座席のリクライニングが かなり倒せることに喜びを感じてました🙌

喜びも束の間…
うちの前に座った女性が、何も言わずに いきなり かなりの角度で席を倒してきた時は、
フェイスマッサージでも したろか?って、思いました😑


男性は奥の座席に数名座り、前席は女性席で4名程しかいなくて、しかも3列席だったので
カーテンで仕切られるし、周りは全く気になりませんでした。石巻駅まで行くのは、私ひとりだけで、みんなが途中で降りた後の1時間位は貸し切り状態でした😆
ここまで、まあまあ快適に来れて、穂乃香に ありがと~🙏💦って、感謝しながら、
現地へ着いたのは、あさ6時半… めっちゃ眠たかった😪


石巻駅前で降ろされたけど、周りに cafeもなく、落ち着けるとこもないので、
大きなスーツケースをコインロッカーに預けて、日和山公園を目指して歩く事にしました。
朝早いので、外に出てる人もいなくて、ひとりっきりの散策は、なぜか楽しかった~😆
駅前の道は、キャバクラや、スナックが多かったです😅


更に歩いて行くと…

↑  こんな人に会いました😅


んー(  -_・)? お前、新顔だなぁ~ って、言ってる感じに見えます😅


知らない方なので、写メして終わります🚶‍♀️


日和山…って看板を見つけたので、ここから坂を上がっていきます。

かなりの急坂です…😓 


振り返ったら、ずいぶん上がってきてました🚶‍♀️


坂の途中から見えた 石ノ森萬画館です。


震災の1ヶ月後は、こんな感じでした。【画像お借りしてます】


今は、整備されて綺麗になっています。


人間の力って、凄いなぁ…
この町を復活させようと、時間をかけて、体力を使って、
ここで暮らす人々が、ひとつに まとまってないと、できない事だと思いました。


そうこう考えてる間に 高台にある 日和山公園に着きました🙌


早速、松尾芭蕉さんと、その弟子の像と出会います。
穂乃香と一緒にいたら、きっと この2人にセリフをつけて、大笑いしてたよね😆


こちらの日和山公園は、ここから眺める景色の美しさに 心奪われた様子を書いた句や歌碑があります。
石川啄木や、宮沢賢治、齋藤茂吉、折口信夫…と、数多くの文学者が訪れたようです😌


日和山公園の横には、鹿島御児神社(かしまみこじんじゃ)があります。
石巻に鎮座する神社です。



ここからの眺めが素晴らしいのは、誰が訪れても 頷けます😌


11年前は、ここに たくさんの建物があって、活気があった町だったんだろう…
その時の情景が浮かんできて、涙が溢れてきました。


遠くの先に目をやった時、モニュメントみたいなのが見えました。

なんだろ?🤔  下へ降りてみよう…


散歩してた現地の人に聞いたら、
ちょっと ここからは遠いけど、この階段を降りたら、モニュメントがあるとこまで行けますよ。


…って、道を説明されたので、鳥居⛩️の前をくぐって、下へ降りる事にしてみました🚶‍♀️


東日本大震災では、多くの人が この階段を駆け上がって、この山に避難してきました。
階段の下の方の位置です。(当時の画像、お借りしてます)


11年の月日をかけて、ここまで頑張ってきた石巻!
あれだけの瓦礫を撤去してくのも、ものすごい大変な事なのに…



津波で、家は流され、恐怖と絶望の中、眼下に迫りくる大津波を この場所から
ただ じっと見つめるしかなかった場所…


あの日の映像を思い出しながら、一歩、一歩、下へ降りていきました。



次へ続く…

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