穂乃香、この空で繋がってるよ…。

大好きな穂乃香へ…

穂乃香の笑顔は、私の宝物だった…。

いつか…
また必ず逢う日まで

その日まで
も少し待っててね…。

旅の続き② …石巻市の復興

神社の階段を降りきって、ずんずん進んでいくと、住宅がポツポツとありました。
そして、至る所に たくさんのお墓が並んで立ってるのに圧倒されます。


ある住宅の前に慰霊碑がありました。

震災の関連死を含め、約4,000人近くの方々が亡くなり、
最も被害の大きかった この地に 最初の地蔵尊を建立したそうです。
足を止めて、ここでお線香を あげさせて頂きました。


教えて頂いた道なりに歩いていくと、小学校が見えてきました。

門脇小学校と書いてありました。 早速、調べてみました。


門脇小学校は、高さ1.8メートルの津波に襲われたうえ、流されてきた車や住宅から引火して津波火災が起きました。 当時、学校にいた児童224人は、裏山に避難して全員無事でした。


今年の4月3日より、石巻市震災遺構門脇小学校を一般公開しています。

朝が早かったので、こちらの中へ入ることはできませんでした。
開館時間や休館日は、このあと紹介する、石巻南浜津波復興祈念公園と同じですが、
門脇小学校へ入るには、入館料が  大人 600円になります。



門脇小学校の前に 石巻南浜津波復興祈念公園があります。
左横の建物は、みやぎ東日本大震災津波伝承館になります。

こちらは、2021年3月28日に開園しました。
開館時間  9:00~17:00(最終入館16:30)  4月~9月まで18:00(最終入館17:30)
休館日  毎週月曜日(祝日の場合は翌日)
毎月11日は、曜日・祝日に関係なく開館。
東日本大震災の記憶と、教訓を後世に伝えるスタッフの方々が、無料で案内してくれます。
到着した時は、まだ 朝の8時だったので、開園まで 1時間ほど広い園内を回りました。


みやぎ東日本大震災津波伝承館の屋根が、斜めに設計された理由として…
一番高い屋根の位置まで、津波到達点を示しているといいます。
そのシンボルとして、デザインしたそうです。


館内をゆっくり回りながら、1時間半近く見学していました。


ここは、追悼の広場・祈りの場です。


鹿島御児神社から見えた
『東日本大震災 鎮魂と追悼のモニュメント』


園内に供養塔がありました。海沿いで、風も強かったので
お線香も半分にして、手を合わせました。


空に届きそうな丘がありました。
こちらは、『一丁目の丘』というところです。



この丘の上から、見渡した園内には、以前、たくさんの おうちが並んで写ってるパネルがありました。

前回のブログの冒頭で、自分の震災当時の出来事を書いたけど、
今も、石巻の人たちの大勢の命が続いていたのならば…
あの時、あの時間に起きた震災で、怖い思いをしたけど、こうして生きてて良かったねと、
笑って語り継ぐことが出来ただろう…。


ここに来て、また改めて 命の重さに気づかされる。


この震災で、たくさんの命が犠牲になってしまいました。 
まだまだ 夢や、希望があった人たちも、ここで命が寸断され、
本当に無念だったろうと思う。


穂乃香の事故の時も同じ、絶対に風化させてはいけない事だと思いました。
絶対に忘れない…。
ガランとしてしまった敷地を見ながら、手を合わさずには いられませんでした。




石巻市で亡くなられた慰霊碑。


了承を得られた人の、一人一人の名前が刻まれていました。


テレビで、何度も何度も映って、見た方も多いと思います。
石巻の『がんばれ!石巻』の看板は、
5年に1度、書き換えてるそうです。 この看板は、3枚目になります。


風に揺れて、気持ちよさげに泳いでる、鯉のぼりが とても印象的でした😊


気付くと、ここに5時間も滞在していました。
なぜか、私には心地よく、離れがたい、いい場所でした。
また 近いうちに絶対 来ます!


お腹も空いてきたので、移動することにしました。

とはいえ、バスの本数が 少なすぎます😢
寄り道もしたいけど、一旦、駅に戻ることにしました。


次へ続く…

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