穂乃香、この空で繋がってるよ…。

大好きな穂乃香へ…

穂乃香の笑顔は、私の宝物だった…。

いつか…
また必ず逢う日まで

その日まで
も少し待っててね…。

判決後…今の気持ち

今日は、重たい話を 書いてます…。


注 ))
この記事にあたって、一部、感情が高ぶり、ふさわしくない表現や、
私自身の心の叫びを剝き出しに綴ってます。
一人娘を殺されて、どうにも気持ちを持っていくことが出来ない、母親の嘆きの記事になりますので、そうゆう記事を望まない方は、始めから読まないでスルーして下さい。




判決後の今の心情…


裁判の審理が終わり、被告は狭いひとり部屋の留置場から解放されて、
自宅へ戻り、身内に囲まれ、元の普通の暮らしを取り戻してる頃だろう…。


被告は、これまでずっと、心からの反省もなく、図太い神経で、
長くかかった裁判から、やっと自由になれたと安堵してるんじゃないか…?



穂乃香の事故から約1年後に このブログを書き始めて、
今年の5月4日で、もう丸5年が経った。


あの時は、藁にも縋る思いだった。
まず、誰を頼っていいのか、何を どうしていいのか…
身内は、日々の自分たちの事でいっぱいらしく、裁判の話しどころか、
兄には、自分で解決していくしかないよ!…と、きっぱり言われ、途方に暮れていました。
そして、穂乃香の事故から、 ほとんど連絡がありませんでした。


当時、約9年働いていた会社も、事故の影響もあって、
精神的に追い詰められて、辞めてしまい、暫くは働けませんでした。
派遣の仕事を始めて、いくら忙しくても、穂乃香の事が絶えず頭に浮かんできて、
裁判も控えて、気が気でなかったし、仕事も長く続かずで、何度も死と向き合う日々を過ごしてました。


事故から1年半してから、やっと裁判が始まって、地方の裁判に出向き、
判決まで約3ヵ月間続きました。その間、地方へ泊まり込みで、
3泊しては、自宅に戻り、次の週も、また現地へ行っては、連泊しての繰り返しの生活でした。


一審の裁判が、終わった時に母親に連絡をしたら…


『 心配してたのよ~、あんた、全然 連絡してこないし~ 』


この母親の言葉を聞いた時、今、私の周りに起きてる出来事が、まるで他人事のように無頓着な様子で、無性に腹が立ちました。


私が 『身内なら、裁判中に一度くらい連絡くれてもいんじゃない?』と言い返すと、


母は、『なんて、言葉をかけてあげたらいいか わからなかったし、
         あんたから、連絡くれると思ってたから…』と言われました。


気の利いた言葉なんて、こっちは望んでないのに…
      ただ そばで、そっと寄り添ってくれるだけでいいのに…


そんなこと、この母親に望んでも、無理なことはわかっていたけど、
身内なのに あまりにも 他人事すぎんじゃね?…って、その時、改めて思いました。
私は、昔から母親に暴言吐かれても、穂乃香の死に対しては、状況も違うと思ってた。


私 ひとりで、どこの誰に聞いたらいいのか、不安と孤独さが入り混じって、
すぐにでも、人に寄りかかりたい、誰かに助けて欲しい…

それが自分の母親なら理解してくれると、勝手に思っていました。


それなのに…


当時は、まだ元気で、自営を一人で切り盛りしてる母や、嫁の顔色伺いばっかの兄貴は、
私の身の周りに起きたことなど、他人事に捉える事しか出来なかった様子。
こんな家族を身内に持ってしまった事を 恥じたし、 恨んだし、憎んだ。
今も、その名残は、決して消えたとは言えない。
あの時、母親から他にも受けた言葉も、絶対に忘れられない。


幼少期から、母親の暴言は、かなり受けて育ってきたから、慣れてはいたけど
穂乃香が亡くなったってことに関して、軽い認識しかなかった事が、すごく許せなかった。


事故直後、精神的に病んで、仕事にも出れなくなって、
当面の生活費は援助してくれたけど、母親は、頼れる存在ではなかった。


いまは、すっかり弱ってしまった母親を放っておくわけにもいかないから、
仕事を終えてから、おかずを作ったりして、様子を見に行ってたけど、
今は、自分で、おかず作りも出来るようになったし、人が来ると疲れるから、来ないで!
…という始末。


昨年まで、自営で、ひとりで頑張って働いていた母も、収入面では一銭も入ってこないので、当時、母親から援助してもらっていた金額よりも多額にして渡しました。
困った時は、お互い様です。それが家族だと、私は思います。


それなのに母は、兄貴夫婦が生活に困ってるからと、そのお金に手を付けて、渡してたことを後から知りました。
お金を渡しても、嫁からは、なにも連絡がない…と愚痴を聞かされることも、
しょっちゅうありました。
嫁さんが、常識ない人間だってわかってるのに 26年間も毎月6万程度のお小遣いを
2人にあげていて、母親が倒れても、一切連絡をよこさない人です。
こうなることが、わかっているのに 愚痴を聞かされるのは、うんざりします。


穂乃香がいてくれたら、聞いてもらえたのに…
いつも、そう思います。


この事故さえ、起きなければ…


被告が、今後も、目を覚ます時はないと思うけど、
もし、私の書き残した記事に辿り着くことがあったら、
私がどれだけ辛く、長い時間を送ってきたのか…


これまでの過程を、
ブログに綴った穂乃香への思いを 
被告に 始めから最後まで読んで欲しいと思う。 


先月、東京地裁で、今までの裁判で争ってきた判決が出ました。
今回の裁判長は、一審の判決通り、『危険運転致死傷罪』を認めて、
被告に懲役7年を言い渡しました


当時、被告は、故意にスピードを出して走行していた事も、裁判長は認めてくれました。


下記は、今までの裁判の経緯です。




今まで、地元の新聞を取り寄せたり、裁判記録を収集して、
事件の経過の情報は、幅が広いファイルに いっぱいになりました。
裁判記録は、全て、私の手元にありますが、公開することはできないので、
概ね、一般に報道されてきた通りで、間違いありません。


この事故の裁判で携わってきた、検事、裁判長が、何人代わった事でしょう…
人が代わる度に その人たちは、事件の あらすじを一通り、解読しなくてはなりません。
その人間、ひとり、ひとりによって、持った感情も違ってくると思います。
時間も、ものすごくかかります。
遺族は、その間、何もできずに待たされるだけです。


私は、今回の裁判で、この『危険運転致死傷罪』となる結果を待っていました。


裁判所が、危険運転致死を認めてくれなければ、穂乃香の死が無駄になってしまう、
そう思っています。


…とは、言っても、6年もの歳月が流れると、人の脳裏から、事故があった事も、
忘れ去られていくのが現状です。
犯罪を犯した者は、普通の暮らしに戻って、日常を送っています。


遺族は、これだけ長く闘ってきても、大事な我が子の命を奪われた苦しみからは、
決して癒えることがなく、また辛い日常を送らなければいけない。
被告は、家族の元で、今まで通りの生活をしている…
この差って、いったいなんだろう…



裁判長が、判決の主文に続き、今回の事故の説明をしてる中で、、
長く引きずっていた裁判の中で、今まで、スピードだけに争点を充てて、
そこだけに集中して論議されてきたが、
前回の意見陳述の場で、遺族の心情が しっかりと伝わってきました…と述べて頂き、
今回の裁判長には、 穂乃香への思いが伝わった、遺族の気持ちを汲んでくれた事に 
とても嬉しく、ありがたく思い、私は、その場で涙が溢れてきました。


判決の前に遺族側の意見陳述 ( 遺族の心情を述べられる ) の機会がありました。
長い年月に渡り、意見陳述の場は、過去に2度ほどありました。
とても、異例の事です。
これまでの裁判で、遺族側が読みあげる意見陳述は、意味があるものなのか、
正直、疑問にも感じていましたが、これが最後のチャンスだと思い、私は、実行しました。


遺族のそれぞれの思いはあると思うけど、犠牲になった もう一人の ご両親と、
元旦那は、意見陳述を放棄してしまいました。


そのことを咎める訳ではないけど、意見陳述を放棄するなんて、
正直、なんで…?  という、強い憤りの気持ちがありました。
最後まで、諦めんなよ!!…て、思いでした。


私は、絶対に最後まで諦めたくないし、後悔も したくなかった。
だって、今まで、穂乃香の為に何もできなかったんだよ!
ただ ただ、長い時間、裁判に時間を取られて、ここで終わりかよ!
最後くらいは、愛する子供の為に 何かを残せ!!…と。


判決から1週間して、予想通り、被告側が判決を不服として、上告してきました。


今後は、また半年近く待たされてから、判断が出るとのこと。
このあと、闘うとこは 最高裁です。もう、いい加減、勘弁して欲しい。


ここまでくれば、相手側の上告も破棄されると思います…と、検事に言われたものの、
また裁判長や、検事も交代するので、素人判断で考えて、
最後の最後まで気が気でならない、ゆっくり気が休まれません。
事故から 6年も経って、来月、穂乃香の七回忌には、穏やかな気持ちで報告ができると思っていたのに…
被告は、穂乃香の命を何だと思ってるんだ!


最高裁の手前まできて、最後の最後まで、ここまで被告の根性が腐ってるのであれば、
この場で、実名を さらけ出して、二度と社会復帰をさせられないようしてやりたい!




犯罪を犯した全ての人間に告ぐ…
人を殺めておいて、残された遺族の人生を めちゃくちゃにして、
それでも、心からの反省も、罪も償わない人間は、
必ず、今までの人生を後悔する時が来る。


穂乃香の命を奪って、やりたい放題の裁判にしてくれた被告も同じ。
 
貴女(被告)が、この5年半、交通刑務所に入らないで狭い留置場の中で、
毎日、いったい何を考えて過ごしてきたのか、私たち遺族には、まるで理解できない。
遺族は、この6年間、真実だけが知りたかったのに 
結局、貴女は最後まで逃げ切った形を選択しましたよね。
貴女が、故意に出したスピードで、後輩 2人の尊い命は、一瞬で消えてしまいました。


裁判最終日、私は、法廷の中の被告の真正面の席に座り、ずっと様子を伺っていました。
裁判長が、主文を読み上げてる時点で、いい加減 目を覚ますと思ったら、
まるで自分が犯した事故じゃないっていう様子で、顔色一つ変えず、頷きもせず、
私は、弁護人に守られてる…と言わんばかりの顔をしていました。


判決後、上告するまでの1週間、たとえ それが弁護人の思惑通りの策略でも、
貴女には、人間が持ってる良心が1mmも ないんですか?
今回の事故に関しては、一切、自分の犯した罪だと認めて、
弁護人に上告を取り下げるくらいの勇気は、なかったんですか?


人として、本当に最低な人間だと思います。


貴女が、この先、普通の生活に戻り、社会復帰をして、
いつか私と同じ母親になった時に いきなり第三者に我が子の命を奪われたら…
貴女だったら、どうなりますかね…


女手ひとつで、たった一人しかいない穂乃香を 
この手で、一生懸命に育てあげてきて、
一瞬で、命を奪われた 私の気持ちなんて、到底、わからないでしょうね…。


どれだけの絶望感のなか、ひとりで闘ってきたか…
そもそも、一人になるってことが、どんなに心細いことか、
貴女には理解できないでしょうね、周りに守られているんだから…


被告の母親にも、言いたいことがあります。
穂乃香の事故の何年か前に 旦那さんを亡くされたと仰っていました。
私は、貴女(被告の母親)に同情してしまう事が 何点かあって、
あなたの娘が犯した事故を許そうとしてた、あの時の自分が憎らしいです。
同じ母親として、貴女(被告の母親)を信じて、裏切られた今、悔しくてならないです。


保釈を希望する時点で、本人や身内である意思は、
弁護人から話を聞いた上での承認ですよね…?
判決を待たず、保釈保証金を用意して、なぜ保釈を急いだのか、
で、また今回の判決が出ているのに 再度、保釈請求を求めたのか、理解に苦しみます。


母親だったら、子供の しでかした重大さを重んじて、
せめて、最後の期日が来るまで償いなさい…というのが、筋だと、私は思います。  
穂乃香の葬儀に来て、謝罪したのも、あの時だけのパフォーマンスだったのですか?


誰もが、子供の事を信じるのは、一緒です。
でも、この事故で、被告の故意の運転により、明らかに2人の命を奪ってるのに…  
なぜですか?
母親なら、もっと筋が通ったことを子供に教えていくべきではないですか?


もし、仮に 貴女(被告の母親)が、私と逆の立場で、被告の命を故意に奪っていたら…
あなただったら、どうなりますか?


私は、穂乃香が殺されても、あなた達を殺そうとか、死んで欲しいとか
今まで、一度も考えたことがありません。
ただ、あの事故の真実だけを 本人の口から聞きたかったです。
そして、一審の判決通り、心からの謝罪と、罪を認めて、
交通刑務所で、7年間更生してもらいたかった。


一人、狭い独房の中でも、ただ 三食、昼寝付きで毎日を過ごして、
5年半も制裁を受けてきたから十分でしょ…と、保釈請求を求めるのと、
罪を認め、厳しい集団生活を強いられた中で更生され、保釈に至る…とでは、
大きな違いだと思います。犯罪を犯した人間が、心から罪を償うとしたら、
刑務所で更生を図らないと、意味はないと思ってます。


殺人を犯した罪から、一日でも早く忘れようと、逃げてる あなた達を
私は、一生、許すことはできません。


私は、穂乃香の命を簡単に奪われて、
もう二度と会うことも、抱きしめることも出来ないのだから…。



2016年6月30日、 23時半前に起きた、
あの痛ましい事故を 決して忘れることのないように…


穂乃香が、最後まで残してくれた笑顔は、
        私の命が消えるまで、ずっと忘れません。


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